スコアを開始するにあたって。。。

「たとえ規模は小さくても日本とアメリカの文化の懸け橋になりたい。。。」私達はいつもそんなことを思っていました。主人は、日本人の私と結婚し、日本人の暖かさに触れて、何かお返しができないか、と思っていました。

私は、アメリカに住んで16年、仕事で日本とアメリカの間を何回も行き来するようになり、アメリカで見つけた楽しいこと、面白いことを日本に紹介したいと思うようになりました。今回のサマーキャンプもその一つです。また日本人と外国人とのコミュニケーションを助ける通訳という仕事を通して、ビジネスの世界での異文化間コミュニケーションの難しさを痛切に感じ、できるだけ早い時期に異文化と触れ合うことが大切なのではないか、と思うようになりました。

私は帰国子女ではありませんが、英語が自由に話せるようになりました。外国で育たなくたって、努力すれば英語は話せるようになる、英語を話せると世界中の色々な人と話ができる、英語って楽しいんだ、ということを姪や甥、そして日本にいる子供達に伝えたい、と常に思っていました。

私は1970年の万博の時に、生まれて初めて英語を生で耳にしたと記憶しています。そして太陽の塔があったイベント会場で初めて通訳を聞き、なんと格好よいのだろうと幼心にも思いました。次の英語の思い出は、中学2年のときに家族で行ったハワイ旅行です。どうしても欲しいTシャツがあり、母に買ってもらおうと思ったら、「ハウマッチくらい言えるでしょ。自分で買っていらっしゃい。」といわれ、生まれて初めてネイティブの人に英語を話しました。そのときの、自分の英語が通じたときの嬉しさを今でも鮮明に覚えています。

その次は、大学1年の夏に参加したカリフォルニアでの3週間のホームステイ・プログラムです。ホストファミリーの英語が早すぎてわからない、質問したいことは沢山あるのにうまく言えない、思い切って言ってみたところがどうしても通じない。このときに、この次にアメリカに来るときは絶対英語がペラペラになってきてやる、と思ったのです。

こんな私の思い出話をしたのには理由があります。それは、ほんの小さなきっかけを親が作ってあげるだけで、子供にはいくらでも可能性があると私は信じているからです。あの時、万博に連れて行ってくれたから、あの時、母が英語を話せ、といってくれたから、あの時、ホームステイをさせてもらったから、今の自分があると思うのです。

たった2泊や3泊、ネイティブと過ごしたからといって英語が話せるようになるとは思っていません。でもSCOAのキャンプに参加したことにより、一人でも「英語って面白いな」「英語の音って格好いいな」「英語が話せるようになりたいな」と思ってくれれば大成功だと思っています。

私は、SCOAで実施する言葉と動作を結びつけた英語学習法は、非常に効果的であると考えます。TPR (Total Physical Response)というこのアプローチは、アメリカでは既に語学クラスでよく使われている教授法ですが、教室ではどうしても“Stand up!” “Sit down!”といった単純な指示に反応する程度のことしかできません。

SCOAでは、コーチからの指示を聞いたら、日本語を介すことなく、言葉を直接体感し、理解し、反応することになります。教室内で英語を話すプレッシャーを排除し、大好きなスポーツやフリスビーなどのゲームをしながら、気が付いたら、英語の指示に従って自分の身体が動いていた、となれば目標が達成できたといえるでしょう。

主人は、子供の頃から大のスポーツ好きで、フットボール、野球、レスリングの選手として活躍していました。私は、アメリカの大学院で外国語習得を専門に学びました。スポーツをしながら英語を学ぶ、というこのSCOAのコンセプトを現実化するのに必要なスキルと経験を、私達は持ち合わせていると思います。

英語のスポーツキャンプを始めようと思った理由は、実はもう一つあります。それは3年前、主人が私の甥のフラッグフットボールの合宿でコーチをしたときのことです。初日は、外人コーチを前にして子供達も緊張気味でしたが、二日目には、練習中に ”Oh, my God!” “Oh, no!”`と子供達の口から自然に英語が出てきました。「ああ、この子達は英語を話したいんだ。そういう機会を待っているんだ。」と思いました。そんな訳で、甥の拓哉とその仲間達のために英語のスポーツキャンプをしてあげたい、と思ったわけです。

この夏、お子さまたちの最高の思い出作りのお手伝いができれば、と願っております。

2006年夏
-SCOAシニアアドバイザー / ベスト圭子